日本マクドナルドホールディングスが10月7日、2014年12月期連結最終損益が170億円の赤字になる見通しだと発表しました。
「ナゲット問題が痛かった」「高くなった」「全面禁煙では行かない」「この値段でこの味ならファミレス行く」「高級路線意味なし」「カフェなんてマックに求めてない」「ファミリー向けで良かったのに」等々・・・。
いろんな意見があると思いますが、マクドナルドの迷走ぶりを、今日は数秘的な観点から観ていきましょう!
マクドナルドは、1971年7月20日に銀座店を出店しました。
この誕生日の持つ先天的な負の数字は、4と8です。
開業当時の名称は日本マクドナルド株式会社で、創業者は「トイザらス」の創業者でもある藤田田(ふじたでん)氏です。
マクドナルドの持つ先天的な負の数字である4と8は、出店年月日、日本マクドナルドの名称、創業者:藤田田氏の名前や生年月日のどれにも当てはまらず、とても良い船出と言えます。
藤田氏は「銀座」での1号店にこだわったそうですが、「ぎんざ」の言霊数は4で、本来は負の数字の場所でしたが、日本マクドナルドの創業年である1971年を単数化した時の9数と、4・9金局という化学反応を起こし、金のなる組み合わせとなっていたのです。
さらに、前述した第一号出店日の合計数を単数化した時も9となり、創業者の藤田氏の生年も9数年であったことから、4・9金局が大きく吉化していきました。
その後の日本マクドナルドは日本全国に展開し、およそ知らない日本人はいないぐらいの知名度にもなりました。
バブル崩壊後の不況も価格破壊競争の先頭に立ち、「デフレの勝ち組」となっていきました。
そんな日本マクドナルドに暗雲が立ち込めたのは、単数化すると4になり、日本マクドナルドが先天的に持っている負の数字である4数年の、2002年でした。
2002年に創業以来初めての赤字決算となり、創業者藤田田氏は戦略失敗の責任を取り、引退しました。
2002年は4数年でしたから、前述した4・9金局がここでも発揮されそうですが、藤田氏が行った「価格破壊」は、総画数44画で単数化すると8になり、日本マクドナルドが4と同時に先天的に持っていた負の数字8の戦略で失敗したことになります。
2002年商号も「日本マクドナルドホールディングス株式会社」に変更されましたが、商号変更を行った2002年2月の負の数字は、1、2、3、9であり、「日本マクドナルドホールディングス」の総画数47画を単数化した時の2に当てはまってしまいました。「にほんまくどなるどほおるでぃんぐす」は言霊数でも2となり、名称の失敗と言えます。
2002年から2004年の不振時期にわずか2年間だけ社長に就任していた八木康行氏は、あまりにも情報が少なく生年月日が分からなかったためなぜこの人になったのかはわかりませんでした。
しかし、「やぎやすゆき」氏の言霊数は8ですし、名前の「康行」も17画で単数化すると8の名前ですから、日本マクドナルドにとっては負の人物だったと言えます。
ちょっと長くなってきたので続きは、また明日!
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