6月14日、日本テレビ「世界の果てまでイッテQ!」で、タレントのイモトアヤコさんが北米大陸最高峰のマッキンリーに挑戦すると放送されました。
マッキンリーといえば国民栄誉賞も受賞している登山家・冒険家の上村直己さんが消息を絶った山として有名です。
本日は、上村直己さんとマッキンリーに関して、ついでにイモトアヤコさんも含めて数秘的に観ていきましょう。
上村直己さんの生年月日と足跡
上村直己(うえむらなおみ)さんは、1941年(昭和16年巳年)2月12日生まれです。
この日が先天的に持っている爆弾数は、1と7でした。
上村さんは明治大学山岳部出身で、大学卒業後就職に失敗したのをきっかけに、アメリカに渡り紆余曲折を経て、1965年から世界の山々を登り始めました。
1965年ゴジュンバ・カン(チョ・オユーⅡ峰)
1966年モンブラン(西ヨーロッパ最高峰)、マッターホルン、キリマンジャロ(アフリカ大陸最高峰)
1968年アコンカグア(南米大陸最高峰)
1970年エベレスト(ユーラシア大陸最高峰)、マッキンリー(北米大陸最高峰)
この時点で、世界初の五大陸最高峰登頂者となりました。
その後も山だけでなく、北極点への犬ぞり単独行で到達など、様々な冒険も行っています。
そして1984年世界初のマッキンリー冬季単独登頂を果たしましたが、下山途中に行方不明になってしまい現在も遺体が見つかっていません。
上村直己とマッキンリー
上村直己さんが初めてマッキンリーに登ろうとしたのは、1968年でしたが当局の許可が下りず断念をしています。
これは上村直己さんが単独での登頂を目指していたからで、マッキンリー登頂は基本的に単独登頂が許されていない山だったようです。
上村さんの生年月日を全部足して単数化した数は2になります。
生年月日からすると人との付き合いの中で自分を成長させ、気遣いの出来る平和主義者なのですが・・・。
しかし、名前の方はまじめで計画的に見える外観と、イケイケの内面とが合わさった行動的な名前の持ち主になっており、上村さんの人生は名前の影響で登山冒険家としての要素がありながら、生年月日との折り合いで人付き合いのわずらわしさから単独行動を好む形になっています。
上村直己さんが初めてマッキンリーに登頂を果たしたときも単独登頂だったのですが、この時も正式な許可は出ていないようで、別の登山隊の隊員という形で入山し、単独登頂を成功させたようです。
1984年世界初のマッキンリー冬季単独登頂までは成功させましたが、下山途中に消息不明となってしまいました。
1984年は4数年で、前述した上村さんの爆弾数1、7のどちらでも無いのですが、1984年(子年)2月13日が持っている爆弾数が2、8、3となっており、「直己」=11画で単数化すると2、「上村直己」=30画で単数化すると3、上村さんの生年月日の単数化2と、爆弾数が多く出ており、登山年月日に強い影響を受けたと言えます。
イモトとマッキンリー
さて、上村直己さんでも遭難してしまうマッキンリーに、果たしてイモトアヤコさんは登頂出来るのでしょうか?
数秘から観ると・・・・・・。
登れちゃうかもしれません・・・・・・。
でもイモトさん、来年2016年から5年間は気を付けなければいけませんよ!
もし今年マッキンリーに登頂出来たら、来年はエベレストってことになるでしょうから、本当に気を付けてね!
来年から良くないのだけれども、特に2018年が要注意ですよ!
トラックバック URL
http://suhijyutsu.com/wp-trackback.php?p=474