6月11日に噴火警戒レベルが1から2へと引き上げられた浅間山ですが、浅間山の噴火はあるのか?噴火したら南側に位置している軽井沢はどうなるのか?
今日は浅間山の噴火と軽井沢に関して、数秘的に観ていきましょう。

過去2回の浅間山大噴火

記録に残っている大噴火は、1108年の天仁の大噴火と、1783年の天明の大噴火の2回あります。

1108年は、1+1+0+8=10=1+0=1となり、単数化した年が1数年となります。
1783年も、1+7+8+3=19=1+9=10=1+0=1となり、やはり1数年です。

1108年は子年、1783年は卯年なので、同じ1数年でも爆弾数は異なります。
1108年の爆弾数は5と6、1783年の爆弾数は3と6です。

1108年の大噴火は1783年の噴火よりも規模が大きく、追分火砕流と呼ばれていて南北の現在でいう群馬県側と長野県側双方に流れ出ました。
長野県側に流れ出た追分火砕流は現在の軽井沢町と御代田町を飲み込んだのです。

追分火砕流の「追分」とは、中山道で軽井沢に三つある宿場町の中の一つの地名「追分宿」から来ています。
過去の噴火史から見れば、軽井沢も大規模噴火があれば飲み込まれる可能性があるのです。

大規模噴火は起こるのか?

では、大規模噴火は起こるかどうかですが、前述したように2回の大噴火は1数年に起こっています。
1108年から1783年まで675年の月日を隔て、1から9まであるうちの同じ1数年に大噴火したのは果たして偶然でしょうか?

1数年は必ず6が爆弾数になるのですが、方位でいうと北に爆弾数が来ています。
大・中・小規模を含めた浅間山の噴火の多くは、北側に流れ出ています。
もちろん2回の大規模噴火でも北側に流れ出ています。

しかし、1108年は子年であることから南側も爆弾方位となり、南側にも火砕流が流出し、軽井沢に大きな被害を与えました。
この年は前述したように爆弾数が5と6ですから、「軽井沢」=23画で単数化すると5になる土地が被害を受けたことになります。

浅間山自体も「浅間山」=24画で単数化すると6になる山ですから、1数年はとっても危険な山なのです。

1108年は何月に起こったのか記述が無いようですが、1783年の「天明の大噴火」は、「天明」=12画で単数化すると3になり、7月25日から8月4日までの噴火活動が激しかった時期の爆弾数3と重なっているところをみると、「天仁」=8画に起こっていますから、2月か11月だった可能性があります。

ただ、「追分」火砕流名付けられていますので、「追分」=13画で単数化すると4が爆弾数になっていたとするならば、7月だったかもしれません。

今年は2015年8数年です。
爆弾数は2となっており、浅間山の噴火によって大きな被害が出る数字が見つかりません。
なので、もし噴火があったとしても、小規模噴火で軽井沢はもちろん、群馬県側でも被害が出る可能性は極めて低いでしょう。

もちろん2の名前を持っている土地や、2にまつわる数字を持っている人は十分に気を付けなければなりません。

名前からいえば7月6日まで気を付けなければならないのは浅間山より、「蔵王山」(22画で単数化すると4)と「十勝岳」(22画で単数化すると4)です。

とにかく、被害が出ることの無いように祈るばかりです。

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